研究例
順応的管理のための戦略的スキーム
戦略的スキームの必要性
シカにまつわるさまざまな問題に対し、日本ではシカの生息数を駆除で調整することで解決しようとしてきた。しかし、起きている問題の原因のすべてをシカに帰するのは間違いだろう。これまでにも、シカによる生態系への悪影響と考えられてきた現象について、別に原因があった事例も少なくない。例えば、近年のカモシカ個体数の減少はシカの増加が原因とされている。しかし、シカが生息していない山形県や岩手県の一部などでもカモシカは顕著に減少しており、シカが原因だとは単純には言いがたい。植生の変化についても、人間の土地利用の変化、温暖化や大気汚染など、シカ以外のさまざまな原因があり得る。当然、これらに起因す
る問題はシカを管理しても解決しない。個々の問題解決のためには、真の原因の洗い出しと、各原因への手当てが不可欠である。ここで忘れてはならないのは、
求められていることはシカの数を管理することではなく、設定した目標を実現することである。
複数の対策を順応的に講じながら目標を達成するには、戦略的な発想が有効である。ここで紹介する戦略的スキーム(図式)は、目的が明確でかつ成果が厳しく求められる軍事行動を計画する手法として開発されたものである。そして、この手法は企業経営やリスク管理などの分野にも広く応用されてきた。
戦略的スキームでは目標や対策は階層構造をとる。まず政策目標(policy)があり、次にそれを達成するための対策を戦略(strategy)、作戦(operation)、戦術(tactics)に階層分けをする(図1)。下位の階層は、より上位の階層の目標を達成するために位置づけら
れる。つまり、より上位の目標がより重要であり、それを達成するために下位の階層があるのである。そのため、下位の階層ほど状況によって柔軟に見直され
る。シカに関わる問題では、目標として農作物の被害軽減と自然生態系保全が挙げられることが多い。そこで、ここではシカに限らず野生動物一般で問題となっている農作物被害を例に考えてみよう。この問題での政策目標は「農業被害(金額・面積)の軽減」となるだろう。
それでは、この目標を実現するには、どんな戦略がありえるだろうか?真っ先に思いつくのが「個体数管理」だろう。しかしながら、生息個体数と被害量や採食圧がきれいな比例関係になるとは限らない。動物1頭あたりの被害強度が大きく変化したり、農地の周辺環境によっても被害の大きさが変わるからだ。そのため、個体数を減らしても、被害が減るかどうか確実ではない。そこで、「農業被害の軽減」の別の戦略として、動物が農地や集落に入り込めないようにする「侵入防止(行動制御)」が重要となる。さらに、被害を受けやすい農地の立地や周辺環境構造があることも解ってきた。それならば被害を受けにくい環境を整備する「農地環境管理(生息地管理)」も戦略として考えられる。これらの他にも、さまざまな戦略が考えられるだろう。
次に、これらの戦略を実行するための作戦には何があるだろうか?
「個体数管理」戦略とは、動物の個体数を人間が設定した数にすることである。従って、「駆除(狩猟)」がその作戦として考えられる。事実、日本におけるこ
れまでの野生動物の被害対策の主軸はここにある。「個体数管理」戦略には、このほかにも明治時代にオオカミ駆除に用いられた「毒殺」作戦やオーストラリアでウサギの駆除に用いられた「ウィルス」作戦もあり得る(ただしこれらの作戦は、当時は種の根絶のために行われたと思われる)。その中の「駆除」作戦に関する戦術を考えると、狩猟を許可する数・場所・時期の緩和や、補助制度、肉の利用促進策などがあり、既にそれらの戦術は日本各地で実施されてきた。一方、「侵入防止」戦略については、防獣柵などの「物理的障壁」作戦や、犬の利用や見回りなどの「心理的障壁」作戦が挙げられる。
これらに対し、「農地環境管理(生息地管理)」戦略はあまり行われていないので、その作戦や戦術もこれから試行錯誤していくしかない。例えば、被害を受けている農地の近くに動物にとって生産性の高い広葉樹林が立地する生息地構造が見られる場所がある。そういった場所では、農地付近の資源量を低下させ、資源分布を調整することで被害を起きにくく防ぎやすくできる可能性がある。この「資源分布調整」作戦は「農地環境管理」戦略の主軸となろう。また、放棄された農地や農地周辺には野生動物の資源となる植物が多い。商品とならない作物や摘果物が農地周辺に投棄されることもある。
そうした資源が野生動物を農地に誘引させ被害を助長するなら改善が必要である。こうした、人間由来食物の除去や、作付けする作物種と配置の工夫などの「農
地整備」作戦も考えられる。なお、ここで説明した戦略的管理スキーム(図1)は、あくまで例として書いたものであり、実際の戦略・作戦・戦術の位置づけは実情に合わせて検討すべきである。
戦略的スキームは政策目標-戦略-作戦-戦術の階層構造をとって
いる。そして各戦術が、各作戦遂行にどれだけ効果的だったか、各作戦が各戦略にどれだけ効果的だったのか、そして各戦略が政策目標にどれだけ貢献したかを
評価し、次にそれらの戦略・作戦・戦術への投資量(費用・労力等)を見直す(フィードバック)ことになる。戦略・作戦・戦術については、効果の如何によっ
て「実施しない」から「最大限に実施する」までの判断がなされる。また、新たな戦略・作戦・戦術もこのスキームに取り込み、試行錯誤を行う。これにより効
果の低い対策(戦略・作戦・戦術)が継続すること、また新しい対策の試験・実施が阻害されることを防止する。つまり、政策目標達成のために対策の取捨選択
が可能となる。このことから、戦略的スキームは順応的管理を保証するシステムといえる。さらに、戦略的スキームは関係者が個々の対策を協議したり、実施す
る際に、それが全体計画のどこに位置づけられるのか一目で理解できる。対策の全体像を知ることで、それぞれの関係者自身が自分の役割を認識でき、意欲的に
関わることができるよう。
対策の評価と選択
順応的管理を機能させるには、複数の対策の中から目標達成のために、より適したものを取捨選択できること不可欠である。それには、各対策の効果を適切に評価しなくてはならない。しかし、現実には複数の対策が同時に実施されることが多いため、
個々の対策の効果を単純に評価することができない。対策の効果を科学的に評価するには、対策を一部あるいは全て実施しない対照区を設けることが基本であ
る。対照区が設定されないと全く誤った評価がなされる危険性がある。山形県でのカモシカ駆除事業は、対照区設定の重要性を示した好例なので紹介しよう。
山形県ではカモシカによる農業被害対策のために、1990年から一部地域でカモシカの駆除を行った。駆除を始めると、みるみるまに農業被害が減少していった(図2上)。この結果だけ見れば、駆除が農業被害軽減に大変有効であると結論づけられただろう。ところが、山形県では被害発生の遅かった地域では駆除を実施していなかった。そして、その駆除を行わなかった地域でも被害は激減してしまった(図2下)。つまり、駆除の実施に関わらず農業被害が軽減したわけだ。このことから、駆除が被害を軽減させたのではないことが明らかになった。駆除地と非駆除地、どちらでも侵入防止柵の設置が進められていた。また、カモシカ個体群も低密度化していったようだ。こうした対策や要因が功を奏して被害が軽減したと考えられる。この事例では、駆除を行わなかった地域が言わば対照区の役割を果たした。もし、この対照区がなかったら、駆除の効果は全く逆に評価されていたに違いない。山形県では1999年から、カモシカの駆除を中止している。しかし、その後も被害が増加する兆候は見られない(図2)。駆除が中止に至ったいきさつは複雑なようだが、科学的には賢明な判断がなされたといえる。この例からも解るように、対策の効果を適切に評価するためには対照区の設定が極めて重要なのだ。
図2 山形県におけるカモシカ駆除を行った7地域(合計耕地面積500ha)と行わなかった5地域(394ha)の農業被害面積の推移。網掛け部は駆除の実施期間。
ところが現実には農業被害対策でも自然生態系保全に関しても対照
区が設定されない場合が多い。その理由は科学的検証には対照区が重要であるという認識が薄いことが考えられる。また、農業被害問題の場合には、対策を実施
しない地域を設定することが社会的に困難なこともある。そのため、これまで各対策の効果が比較検討されたことはない。それでは順応的に対策を変えることが
できない。
この問題を解決するには、多変量解析などの統計的手法がある程度は助けになるかもしれない。多変量解析を用いれば、同時に実施された複数の対策の効果を評価できるからだ。例えばGeisser
and Reyer(2004)は、イノシシの被害対策としての捕獲、侵入防止柵、山中での餌付け、の三つの対策の相対的な有効性の評価を行っている。
複数の対策を評価するためには、まず地域ごと・年ごとの被害量
(金額・面積・重量・被食率など)と、対策ごとの実施量(費用・日数・面積など)のデータを収集しなくてはならない。地域ごとに各項目の値は異なっている
ことが多いだろう。また、同じ地域であっても、年ごとに被害量や採用した対策の種類には強弱があると思われる。その違いを利用して分析を行うことになる。
集められたデータは図3のような一般化線形モデル(GLM)やパス解析などを使って分析され、対策の有効性を評価することができよう。
図3 各対策の相対的な効果を評価する一般化線形モデル例。M1、M2、M3・・・は対策1、対策2、対策3・・・の係数、同様にC1、C2、C3・・・、H1、H2、H3・・・、S1、S2、S3・・・は気象要因、生息環境要因、社会要因の係数を表す。
図3はGLMで対策の効果を評価する場合の模式図である。M1、M2、M3・・・は対策1、対策2、対策3・・・の効果の大きさを表す係数で、手続きに従って算出することができる。原則的にはM1、M2、M3・・・の値の大きな対策を優先的に実施することになる。ただし、目標指標と各対策の実施量とは単純な比例関係にならないこともある。また、図3には煩
雑になるために描かなかったが、対策間の交互作用も加えるべきかもしれない。それは対策同士で相乗効果あるいは相殺が起きる可能性もあるからだ。目標とす
る指数に対して、気温や降水量などの気象要因、森林率や農地面積などの生息環境要因、農家の経営様態や生産規模などの社会要因も影響していると考えられ
る。従って、それらの要因もモデルに組み込む必要がある。ただし、組み込む要因が多くなるとモデルが複雑化する。一般に複雑なモデルでは多くのデータ数
(地域数・年数)が必要とされるなど、分析上の問題が生じるので注意が必要である。それでも、このような分析を行うことで、対照区が設定できない場合でも
各対策の有効性をある程度評価することができよう。
これまでのシカ管理との関係
これまで、シカの個体数管理計画にはフィードバック管理が取り入れられてきた。その多くは調査によって動物個体数(あるいは個体数指標)を調査
し、その値に応じて駆除圧のかけ方を調整し、目標の個体数(指数)へと導こうとするものである。目標とする生息個体数を設定し、実際の個体数との差を明ら
かにし、対策にフィードバックさせるという点で順応的管理の手法が取り入れられている。
このフィードバック管理を戦略的スキーム(図1)に当てはめてみよう。フィードバック管理では、「個体数管理」戦略にもとづき、「駆除」作戦が実施され、駆除・捕獲数をより高めるための規制や補助制度などの「戦術」の変更が行われてきた。つまり、フィードバック管理は「個体数管理」戦略における「駆
除」作戦と戦術間のフィードバックに相当していることが解る。しかし、フィードバックは「個体数管理」戦略内に限定されている。そのため、「個体数管理」
戦略がどの程度、政策目標の達成に貢献しているのか、また他の戦略と比べてどの程度効果的なのかを評価・検討することができない。事実、これまで複数の対
策間で各効果の相対的大きさについては検討されてこなかった。今後、野生動物管理は戦略的スキームによる包括的な順応的管理へと拡張することが求められ
る。
おわりに
ここでは戦略的スキームによる順応的管理について検討した。それが成立する条件は複数の対策を評価し、比較検討できることである。今後、対策の評価と取捨選択の手法を洗練していく努力が必要である。
シカについては多種多様な問題が指摘されている(農林業被害、希少植物消滅、生態系破壊、交通事故、ヤマビル増加など)。これらは問題の本質が異なっているものもあり、当然ながらとるべき対策も変えなくてはならない。また、シカがこれらの問題を引き起こす原因やメカニズムについて十分に解明されているわけではない。問題解決のための戦略的スキームを検討する際には、各問題の根本原因が何であるのかを追及しながら、その問題の本質に照らして、どのように解決されるべきかを意識することが重要である。
参考文献
揚妻直樹(2012)野生シカに対する順応的管理のための戦略的スキーム.保全生態学研究17:131-136.