Research

研究例

過去のニホンジカ地域個体群の動態

エゾシカ
 近年、エゾシカの増えすぎが、人間社会だけでなく、自然環境に対しても大きな問題とされています。2013-2016年の北海道の発表では道内に5-60万頭のシカが生息しているとされます。
 ところで、そもそも北海道にはエゾシカはどのくらいいたのでしょうか?1900年頃にエゾシカは絶滅の危機に瀕していました。今のエゾシカはそこから増 加・回復してきたわけですが、その前はどうだったのでしょうか?幸い1873年代から82年にかけてのエゾシカ捕獲数が解っています。そこから最低限、生 息していたシカの数は推定することができます。
 推定の原理は簡単です。X年の捕獲数が1万頭だとすると、その年には最低でも1万頭は生息していたことになります。そうなると、その前のX-1年には、 X年に1万頭になるくらいの数が生き残っていなくてはなりません。シカは年間に最大35%程度は増えるようなので、少なくとも1.35倍に増えれば1万頭 になるくらいの数が生き残っていたはずです。そうすると、X-1年の生息数はX-1年の捕獲数に、X-1年に最低生き残っていた頭数を足した値になりま す。それでは、X-2年の生息数はどうなるでしょう。X-2年には、X-1年の生息数が実現される最低限の頭数は生き残っていなくてはなりません。なの で、X-2年の生息数はX-2年の捕獲数と、X-2年の生き残りを足した頭数ということになります。こうやって、過去にどんどん遡って行くと、捕獲記録の ある一番古い年の生息数の最低見積もりが出てきます。

捕獲数と最大年増加率を元に推定したエゾシカ最低生息数.ただし、より新しい年の推定値ほど精度が悪く過小評価の度合いが強い.捕獲数は犬飼(1952)などを元に算出.

 
ここから、1870 年頃までは、エゾシカはどんなに少なくても約35-47万頭が生息していたと推測されました。ただし、シカが毎年、最大限に増加するとは考えにくいなど、 この数字はあまりにも過少推定になっています。そこで、捕獲数や生息数が良く解っている1993から2002年までの道東のデータを用いて、補正を行いま した。その結果、より現実的な推定値として53-69万頭(信頼区間は34-88万頭)に補正されました。当時はオオカミも生息していたので、捕食によっ て死亡したシカも多かったかもしれません。今より厳しい冬の影響もあったでしょう。そのため、当時の本当の生息数はもっと多かったことでしょう。近年、エ ゾシカは不自然に増えすぎている思われてきましたが、どうやら単にもとのレベルに回復してきたと認識するのが正しいようです。




屋久島
 屋久島に屋久島に生息するヤクシカについても1950年頃の捕獲数の情報や、その後の捕獲数の変遷、聞き取り調査などから、ヤクシカの生息数の推移を推 定することができました。やはり、屋久島においても過去にはシカが多く生息していたのですが、1960年代に激減し、1990年代になって回復してきたと 考えられます。そうだとすると、1960-1980年代の屋久島の自然生態系はかなりゆがんだ状態だったといえるかもしれません。

 

屋久島のシカ個体群動態.■は鹿児島県自然愛護協会(1981) の推定値.推定精度は解らないが、少なくとも1960年代に生息数が激減した様子は解る.☐は1950年と1963年での狩猟情報をもとにした生息数の最 低見積もり(年個体数増加率15%を仮定:揚妻2008).なお、実際にはこの値よりも多くの個体が生息していたはずである.点線部の生息数変化は推測.


 
これらの例のように、過去にはシカが多かったのに、一旦激減し、近年回復している傾向は様々な地域で報告されています。なお、未だにシカが地域絶滅状態からほとんど回復できていない場所もあります。このようなことからニホンジカの個体群は概ね以下のようだったと推測されます。

 

ニホンジカの過去の個体群動態の模式図.シカの激減期は早い場所(長野や北海道などの落葉樹林帯)では明治中期頃,遅い場所(屋久島・紀伊山地・房総半島などの常緑樹林帯)では1940-50年代のようである.



過去のシカの動態から見えてくること
 シカがこのような個体群動態を示していたとすると、様々なことが解ってきます。
 例えば、今のシカの数が不自然で、異常に多すぎるとの認識が一般的です。確かに1970年代は全国どこでもシカはかなり少なかったようです。そこを基準 にとると、現状は「異常」なまでにシカが多いといえます。しかし、1970年代を基準にすることが適当かどうか良く解りません。本来の自然の姿を考えるな ら、もう少し以前の状態を基準にした方が良いと思われます。
 また、シカの「異常増加」の原因として挙げられてきたいくつかの要因についても検証することができます。シカの捕食者であるオオカミの絶滅がシカの「異 常増加」を招いたと考える人は多いようです。しかし、北海道や長野県ではオオカミが絶滅する以前にシカはかなり多かったことが解っています。それは、生態 系の成り立ちを考えてみれば、当たり前のことかもしれません。餌であるシカがたくさんいなければ、オオカミだって生きていくことはできないでしょう。屋久 島などではそもそも中型以上の肉食動物は分布していませんでした。従って、オオカミがいなくてもシカ個体群は「異常」になるわけでもないのです。
 地球温暖化によって降雪が減少し、シカが死ななくなったために「異常」に増加しているという考え方もあります。しかし、温暖化の影響がより少なかった時 代にシカが多かったわけですから、この説も単純に受け入れるわけにはいきません。そもそも、積雪の影響を受けない地域についてはこの説は当てはめにくいも のです。地球温暖化は確かに気温の平均値を上昇させますが、同時に極端な気象も引き起こすと言われています。つまり、厳しい冬も起こりえるのです。事実、 2000年以降になってから、北海道や本州の積雪地域では観測史上、最高の積雪深を記録しています。ところが、それによってシカの数が顕著に減少したとい う報告は今のところありません。
 過去には狩猟者数や捕獲数がかなり多かったはずで、それによってシカの個体数が低く保たれていたという説もあります。しかし、良く調べてみると、過去に おいて狩猟者数や狩猟数が多かったとする証拠は見つけることができません。1970年頃からすると、確かに現在の狩猟者数はかなり少ないといえます。しか し、狩猟者数の変化の全体像を見ると、どうも1970年代は、その前後の時期と比べてとりわけ多かった時期でした。いわゆる狩猟ブームだったようです。ま た、捕獲数を見ても現状の方が過去と比べてかなり多いことが解ります。こうしたことから、狩猟がシカの数をうまくコントロールしていたと主張するために は、かなり強力な根拠を示さないといけないでしょう。
 過去のシカの動態を知ることで色々なことが見えてきます。このように、過去の状態を知ることはとても重要なことなのです。


環境省資料及び間野(1998)をもとに作成.点線は農業被害が急増した1990年の狩猟者数レベルを示す.


参考文献

揚妻直樹(2009)シカは森林の破壊者なのか?「北方林業創立60周年誌 北の森づくりQ&A」北方林業会編.北方林業会.pp114-117.
揚妻直樹(2010)「シカの生態系破壊」から見る日本の動物と森と人.池谷和信編「日本列島の野生生物と人」世界思想社.pp.149-167.
揚妻直樹(2012野生シカに対する順応的管理のための戦略的スキーム.保全生態学研究17:131-136.HUSCAP_bnr2.jpg
揚妻直樹(2013)
シカの異常増加を考える.生物科学 65: 108-116.HUSCAP_bnr2.jpg
揚妻直樹(2013)
野生シカによる農業被害と生態系改変:異なる二つの問題の考え方.生物科学 65: 117-126.HUSCAP_bnr2.jpg
揚妻直樹(2016) ディア・アイランド「屋久島」. 屋久島ヒトメクリ15: 18-19.

揚妻直樹・揚妻芳美(2018) ヤクシカの謎. 屋久島ヒトメクリ16: 27-29.

Agetsuma (2018) A simple method for calculating minimum estimates of previous population sizes of wildlife from hunting records. PLoS ONE 13:e0198794..HUSCAP_bnr2.jpg